スポケインで日本人のパーティー!?

さて、前々回では僕とダイキという日本人がEnglish 101を苦労しているという話を書いたが、どうやら教師が流石に難しすぎることに気づいたようで少し手を緩め始めた。彼女はボーナスポイントとして巻き返しができるように小さな宿題をいくつか出し始めたほか、エッセイの課題も点数が甘くなった。そのおかげで僕もダイキも少しずつ巻き返し始めた。

そんな中、ダイキが僕に1つ提案をした。

日本人のパーティーに行こう、というのだ。

僕は「あまり日本人に関わりたくない」、という旨を伝えると、彼は「日本人と話すのも悪くないぞ」、と僕に言った。生活の9割、アメリカ人といるんだから日本人とたまにはガッツリ絡むのも悪くないじゃないか、という魂胆だ。ダイキは高校の頃は日本人が1人もいないテネシー州の田舎街で過ごしていたため、日本人の友達がいることがいかに重要かということが分かっていた。僕にはまだ理解できなかったが、まあ、ダイキみたいな日本人もいるんだ。もしかしたらいい出会いがあるかも?と思って、最終的にOKした。

パーティーに行くと、そこにはコミカレのオリエンテーションで会った雄三がいた。彼主催で、場所も彼のアパートだ。一人暮らしのようだが、なかなか広いアパートだ。折り紙付きは学校からの距離。歩いて五分で行ける場所にある最高の立地だ。ホームステイ先から1時間かかる僕にとって雄三の家は最高に羨ましかった。

そうしていると、色々な日本人が集まってきた。こんなにも日本人がいるなんて、とかなり驚いた。ビールを飲みながら色々な話を聞く。驚いたのは、僕やダイキみたいに州外に出て、もっといい大学に行きたい、という人が全くいなかった。どうやらみんなこのままスポケインにいたいようで、編入でゴンザガ大学(スポケインで1番の学校)に行きたいようだ。スポケインに全く情が映っていない僕は彼らの考えがよく理解できなかった。

さらに、僕やダイキのように全部のクラスで成績4.0を目指している人も全くいなかった。まあ単位取れればいいや、という感じである。

ワシントン大学を目指す日本人、リク

しかし、そこでもう1人の日本人が入ってきた。目つきが悪くて人を殺しそうな男である。彼はリク、という名前で僕や雄三と同い年で1994年生まれ。話を聞いていると、彼はシアトルにあるワシントン大学に行きたいようだ。

実はシアトルに行った時、僕は街に惚れ込んでしまったがために、編入先にシアトルの大学も悪くないかもな、と思った。シアトルにある1番の学校はこのUniversity of Washingtonである。色々調べたがなんとも素晴らしい大学だった。しかし問題だったのは、そこには映画学部がなかったことだ。いや、一応あるのだが、そこは制作、というよりも映画の理論みたいなものを学ぶ学部だった。僕は制作の方に興味があったので、じゃあ仕方ないとワシントン大学を諦めた。それにしても諦めるのが惜しい素晴らしい大学である。

彼は僕やダイキほど勉強熱心ではなかったが、まあなかなか良い四年制大学に行けるような成績をとっていた。しかし彼は英語がずば抜けて下手だった。訛りがきついのはいいのが文法がめちゃめちゃなのである。LとRの発音の区別ができていなくて、直そうという姿勢も皆無だった。おそらく四年制大学では相当苦労することになるだろう。

そのほかにも多くの日本人がいたが、やはりダイキくらい志が高い日本人はいなかった。

日本人との時間は悪いものではない

しかし、このパーティーは楽しかった。やはり、日本人と会話をするのは楽しいものである。英語でアメリカ人と会話することには何も問題はなかったが、それでも自分が100%言いたいことを伝えるのはまだ難しかった。だからこうしてなんでも話せる日本人が周りにいるのはいいものだな、と思う。それに、最近は勉強ばかりでストレスが溜まっていたから、こういうのは息抜きにはいいのかもしれない。ダイキを見ると、彼も同様にとても楽しんでいた。

何度も言うが、アメリカに来て日本人と四六時中過ごすのはマズい。英語の向上にも文化の吸収にもよくない。しかし、全く関わらないというのも寂しいものだ。留学というのは人によってはかなり孤独な戦いだから、精神的にきつくなった時にはこうして日本人と遊んで息抜きするのも1つの手だ。つまり、メリハリが大事だ。余裕があるときにはアメリカにどっぷり浸かり、必要なときには日本人と思いっきり楽しむ。僕にとって編入のプレッシャーは日々重くのしかかっていたため、今後も何度かパーティーに参加したり日本人とつるむことで気が楽になった。

僕の言いたいことは、君は「なぜ、留学をするのか」ということを常に自分に問うのが大事だということだ。そうすれば、自ずと生活にメリハリができてくる。自分の目標を知っていれば四六時中日本語をしゃべることもないだろうし、君は文化の吸収や英語の向上に必死になるだろう。もし、それを失ってしまうと、君はただひたすら楽しい方向に走るだけだ。君のそばにいるのは常に日本人、となってしまうわけだ。