最後のバスの中

慶應のキャンパスに向かう神奈中の黄色いバスの中で僕はこれまでの7年間を振り返った。東京の自宅から湘南にあるキャンパスまで、中学から大学一年生まで1時間半かけてよく毎日通ったものだ。

テニス部のころは朝の1番早い7時くらいのバスに乗って朝練に行った。

母親は僕のために5時に起きて、お風呂を沸かしてくれたり弁当も作ってくれた。

7年間もバスに乗っているから慶應まで行く景色はもう見慣れたものだ。でも、これが最後だと思うと少し違って見えてくる。

今日は大学の事務室に行って退学届を出してくる。実をいうとまだアメリカの大学は決まっていなかったのだが、後ろ盾があるのが嫌だった。自分をもう戻れないところまで追い詰めたかったのだ。そっちの方が渡米の準備もしっかりできるはずだ。

バスを降りて、おなじみの景色を横目にキャンパスの階段をのぼる。左手にはガリバー池という小さな池があって、よく友達と寝転がっていた場所だ。そこには鴨が何匹もいて、昔おばさんが鴨に追い回されてアタックされていたのを不意に思い出して吹き出してしまった。

慶應が教えてくれたもの

事務室に行って退学届を出すと、事務の女の人はあまりこういう状況になれていなかったのか少しまごついていた。まあ、慶應大学を退学なんて年に1人いるかいないかだろう。

そして僕は退学届のサインをもらった。この瞬間、僕はもう慶應生ではなくなったのだ。

7年間、慶應生だった。

それが今、僕は何者でもない。今実質、僕は高卒なのだ。

大学のキャンパスと中高の校舎は隣合わせだったので、最後に中高の校舎に立ち寄った。

そこには楽しそうに今を生きている中学生と高校生が、走ったり歩いたりアイスを食べたりしていた。僕も前はあんな感じだった。将来のことなど何も考えずにただひたすら楽しい学校生活を送っていたのだ。もし、人生でどの時代に戻りたいかと聞かれたら真っ先にこの中高時代のどこかだろう。

もうここに来るのは最後だ。僕は校舎に入るでもなく、校舎の目の前でボーッとしながら中高の思い出を思い出していた。

せっかく中高6年間いたのに、勿体ないという人もいるかもしれない。でもここSFC中高の6年間で学んだことは何事にも変えられない。あまり、授業の内容とかは覚えてないが、ここで得た最大のものとはなんだろうと考えた。そして答えは割とすんなりでた。

「自由」だ

それぞれが個性を存分に生かすことができて、将来凄いことをたくさんする人たちにたくさん会うことができた。自分がどういう人間かも知ることができたし、どういう風に生きたいか、ということもここで学んだ。個性を殺さず、伸び伸びと支えてくれるSFCの校風はまさに僕にピッタリだった。

自由の精神は、慶應の創立者、福澤諭吉から来ている。僕は福澤諭吉が慶應に込めた想いをなんとなく理解し始めていた。僕はもう慶應生じゃないけど、心は誰よりも慶應生だと思っている。福澤諭吉も、僕のことを彼の1人の塾生だと思ってくれているに違いない。

さようなら我が母校!

もっと大きくなって帰ってきます。

あれからまた7年が経つが、僕はまだ顔を出していない。だが、もっと顔向けできるようになったときに、必ずいつか訪れようと思っている。

アメリカ留学公式ガイドブック 大学・大学院留学を成功に導く 〔2018〕第2版/日米教育委員会【1000円以上送料無料】

価格:1,980円
(2020/5/4 20:26時点)
感想(0件)

TOEFLテスト英単語3800/神部孝【1000円以上送料無料】

価格:2,530円
(2020/5/4 20:28時点)
感想(0件)